「未熟な私たちが、絶対的な愛に触れるとき」

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​私たちは「愛」を語るとき、あたかもそれを知っているかのように振る舞う。しかし、私たちが捉えている愛は、本当にその本質なのだろうか。

  • 解像度の低さと「洞窟の比喩」 プラトンの「洞窟の比喩」のように、私たちが日常で感じている愛は、真実の愛(イデア)の「影」に過ぎないのかもしれない。だからこそ、私たちの理解は幼児のように曖昧で、解像度が低い。
  • 不純物という人間の本質 エゴ、執着、恐れ――人間の感情が混ざり合うことで、愛は「不純物だらけのエネルギー」となる。だが、その未熟さこそが、私たちが人間である証拠そのものだ。
  • 宇宙の中心(絶対的真理)への昇華 人間がどれだけ足掻いても、自力でその不純物を100%濾過することはできない。完全に純粋な愛とは、個人のエゴを超越した「宇宙の中心点(絶対的な真理、あるいは大いなる自然)」にしか存在しないのかもしれない。

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